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elder-alliance.org > 聖女の箱庭で > 次元の呪い
「祥子もすなる日記といふものを、美冬もしてみむとするなり。」
鵜沢美冬、私立リリアン女学園高等部3年生。
彼女が入学当時から書いている日記は、最初のノートの一文を上ではじめ、今や17冊を数えていた。
棚に積んである16冊の、日記の内容を少し覗いてみよう。
「○月×日
今日から、学校が始まる。
祥子さんと同じクラスに選ばれたことが、とても喜ばしい。
明日から、祥子さんに少しでも見てもらえるようにがんばろう。」
「○月◇日
今日は、祥子さんと一緒に、プリントを配った。
白魚のように整っている祥子さんの手は、相変わらずとてもきれいで。
少しだけ、触れたくなった。」
「○月△日
今日は、祥子さんの隣の100メートル走を拝見した。
美しいスタイルに華麗なフォーム、まさに走る女神。
このクラスになった幸せを、ゆっくりとかみしめる。」
「△月×日
今日、祥子さんが
いったいどんな話なのだろう。
祥子さんは
なって欲しい気持ちが半分、なって欲しくない気持ちが半分。
芸能人を見ているような気分を味わってしまった自分に、少し、嫌気がさした。」
「×月◇日
今日の晩ご飯はチョコレートだった。
祥子さんにあげられなかったチョコレート、処理しきれなかった失敗チョコレート、余った材料チョコレート、 そして、今夜祥子さんを思って、夜食にゆっくり食べようと思ったチョコレート。
すべてのチョコレートを、今日一日できれいさっぱり世の中から消し去る。
ビターチョコレート特有の苦みが、口の中を刺激する。
最後の一片を口に含むと、苦みを我慢できなくなって、涙が出てきた。
水を飲んで、お茶を飲んで、ジュースを飲んで、口の中の苦みを消す。
それでも、涙は止まらなかった。
祥子さんには、誰からもチョコレートをもらう理由がない。
それは、私からといえども同じだったのだろうか。
確かめるすべは、ない。」
「×月◇日
今日は、去年にもまして最悪の一日だった。
祥子さんが埋めた紅いカード。
あのカードを手に入れることで、渡す理由を作るはずだったチョコレート。
あのカードを手に入れたことで、渡す理由を失ってしまったチョコレート。
祥子さんの
昔祥子さんに言われたとおり。悪いことをしたから、罰が当たったのだ。」
「×月△日
祥子さんの
彼女は私と何が違ったのだろう。
どうやって、祥子さんと知り合って、どうやって
彼女には、祥子さんの何が見えていて、何が見えていないのだろう。
福沢祐巳。
おめでたい名前とおめでたい顔とおめでたい考え。
その裏に隠された、祥子さんへの強い思いと鋭い観察眼。
まさに、祥子さんのためにあてがわれた
私の名前からkの字ひとつ加えただけの、彼女がうらやましかった。」
17冊はすべて、このような調子で書かれていた。
そして、その日記は日記以外のことも書かれていた。
空いたページに、祥子が主人公の短い小説や、祥子のイラスト。
美冬のノートは、小笠原祥子で埋め尽くされていた。
そして、今日の日記。
「×月☆日
『聖ワーレンティヌスの奇跡』。
去年、紅いカードが消えた事件は、このような見出しで紹介された。
さしずめ、私にとっては聖ワーレンティヌスの天誅と言ったところか。
あれから、髪も切ったのに。
家に帰ると祥子さんのことばかり考えている。
明日に控えたリリアン女子大入試の追い込みにすら、身が入らない。
リリアンの優先入学を勝ち取った祥子さんに、このままでは追いつけない気がする。
私は、祥子さんと同じ大学に行けるのだろうか。
そして、数日後に迫ったバレンタインデー。
三度目こそは正直になれますように。」
書き慣れた祥子のイラスト。
今日は、隣に小さな女の子を添えてみる。
祥子と美冬を書いたつもりだったのに、なぜか、祥子と祐巳に見える。
不愉快だった。
翌日、美冬はリリアン女子大学の試験を受ける。
特に問題もなく終了し、美冬は合格への手応えをつかんだ。
美冬の私立受験はこれで終了。次の問題は、バレンタインデー。
今年は、必ずチョコレートを渡す。
その決意を日記に書き記し、イラストを添える。
祥子にプレゼントを渡す少女。
自分をイメージした少女が、今日も祐巳に見える。
美冬は、今日も不愉快な気分で床についた。
バレンタインデー当日、昼休み。
美冬は、祥子を人気のないところへ呼びだした。
「どうされたの?」
祥子が美冬に問いかける。
「ええ、ちょっと渡したいものがあって」
そういうと、美冬は四角い箱をひとつ、鞄から取り出した。
「受け取っていただけるかしら?」
その箱に、祥子は少し困った顔をした。
「受け取る理由がないわ」
「知っているわ」
祥子の言葉に、美冬は一瞬もためらうことなく答える。
「でしたら」
「でも、私には渡す理由がある。
どうしても受け取れないのであれば、せめて断る理由を示していただけないかしら。
私があきらめることのできる、理由を」
美冬の言葉に、祥子はため息をついた。
「強すぎる想いは、ときに毒になるの」
祥子の言葉に、美冬は目を見開く。
「私にはその毒を薬にはできないし、毒に耐えるつもりもないわ」
「……そう、分かったわ」
美冬は笑顔を作った。
「大丈夫よ、あなたならそれを渡す相手くらい、簡単に見つかるわ」
祥子はそういうと、踵を返して教室へと歩き始めた。
「あれ?祥子さん、美冬さんは?」
クラスメイトが祥子に聞く。
「ちょっとあったの。
しばらくしたら戻ってくると思うから、一人にしてあげて」
祥子はそう答えながら、あのクラスメイトの名前が美冬であることを思い出した。
しかし、その名前が何を意味するかまでは、思い出すことができなかった。
美冬は、その場所を動けなかった。
晴れ渡った空の下、チョコレートの包装紙が、リリアンの制服が、滴に濡れる。
現実は、小説のようにうまくはいかない。
現実は、イラストのようにきれいでもない。
現実は、人形のように変わらないわけでも、アニメのように外から観察できるわけでもない。
現実は、自分が主役の、筋書きのない残酷で冷徹なストーリー。
当然理解している、当たり前の事実に、美冬は、打ちのめされた。
鳴り響くチャイムも、彼女には届かない。
彼女が3年生だったということは、幸運以外の何者でもなかった。
次元の呪い(Curse of Dimension)とは、科学的に立証された呪いのことです。
たとえば、1メートル=1,000ミリに対して、1平方メートル=1,000,000平方ミリメートル、1立方メートル=1,000,000,000立方ミリメートル。
このように、単位(次元)が1ふえるだけで数字が急激に増大する現象のことを言います。
計算機の世界ではNP困難(NP hard)と言って、計算時間が莫大に増加する問題として知られ、非常に嫌われます。
が、呪いと言っても科学ですから、逆用することも可能なわけで。
たとえば、長い文字のパスワードが破られない理由は、ここにあるのです。
ところで、現実の次元について考えてみると。
1次元=情報列、2次元=写真ないしは絵画、3次元=アニメーションないしは人形、4次元=現実という公式を考えるとおり、 現実はわたしたちの想像よりかなり高い次元に属するようです。
マリア様がみてる・紅いカード。この話の主人公・鵜沢美冬は、次元の呪いをどうとらえたのでしょうか。
……ああ、俺は次元の呪いに引きずられっぱなしさ_| ̄|○