2007年1月30日 のアーカイブ

何が間違っていたのだろう……?

2007年1月30日 火曜日

ちょっと、政治なおはなし。柳沢厚生労働大臣が、「女性は機械」と発言したとされる問題について。

文意を正しく取れば、「数字でとらえると」ということにしかならない筈のこの問題が、なんで失言とされるのかがよく解らない。文意を正しくとらえて、その上で失言かどうかを判断してそれを叩くのが正しいやり方なのに、言葉の端だけをとらえてここまで大きな問題にする、というのが、「李下に冠を正さず、ただし地球の裏側までずっとすもも畑」な不条理を感じざるを得ない。

んで、言葉の端の「失言」に気が付き、不快にさせたと発言直後に謝っているにもかかわらず、火はどんどん広がっていく。
新聞から拾ってきた某女性議員の言葉がこのような文面であった。
「考えていないことを発言なぞできない。だからこれは本音だ」
……人間なめんな。確かに考えていないことを発言はできない。だが、思っても居ないことを考えることなぞいくらでも出来る。というか、公平・公正・中立に考える為には多角的に物事をとらえることが必須であり、思ってもいないことを徹底的に考えて検証して、そこから生まれたアイディアは大切にして、生まれた問題点はきっちり回避する。逆に、考えていること=思っていること、などという短絡的な視点の持ち主が民を代表する立場にいることのほうが許せない。

ふと思い出すのが、あるフォーラムでの政治家の発言。
外交問題に関して、以前行った失言を「経緯を説明して」再度謝罪を行うものだったその経緯説明が、再度「失言を繰り返した」と批判されたことがある。
詳細は忘れたが、この記事を見て、あきれかえったものだった。

ここで、もう一度主張を繰り返す。致命的批判は発言の意図に対して行うものであり、言葉の端に向けて繰り出されるものではない。

さて、ここでマスメディアについて振り返ってみよう。
彼らの得意な術は、ピンポイントだけ切り抜いて徹底批判することである。わかりやすさのために必要な最低限の尺を見せるために編集することが彼らの仕事であるが、この「ポイントだけを、短く見せる」手法が全体像を見失わせているような気がしてならない。
今回の柳沢厚生労働大臣の小さな失言は、マスメディアがアンプリファイアとして、数百倍にも数千倍にも大きな失言としてとらえさせている、という考察は決して的はずれとは言えまい。

部分ばかりに注目して、全体のつながりに注視できない。
どこかのアニメを批判したのと全く同じ論点がこんなところにあてはまるとは、どこの世界も大して変わらない証左とも言えてしまう。やれやれ、だぜ。