単語主義と文脈主義

人の振る舞いや言葉は、発信者の意図にかかわらず、解釈は全て受信者によってのみ行われる。

つまり、発信者の行動や言葉が発信者の意図通りに解釈されるなんてことは絶対にあり得ない、ということを、議論・行動・生活の前提に置く必要がある。

ということを、最近とみに感じる。……泣いても、いいですかね。

・麻雀関連
 「だらだら遊ぶ」という言葉は、単語のイメージで読むと、それ自身が自己矛盾を起こしている。
 「だらだら」⇒長時間手を抜いて、「遊ぶ」⇒主体的に全力で取り組む、のイメージがあるためである。
 この場合、解釈の方法として、「だらだら」か「遊ぶ」の、どちらかの意味を縮小しないと通じない。

 縮小例1)「だらだら」⇒長時間 (「手を抜いて」を削除)
 縮小例2)「遊ぶ」⇒取り組む (「主体的に」と「全力で」を削除)

 どっちを削除するかは文脈次第だったりするが、発信者=前者、受信者=後者だったりすると、
 「長時間、主体的に全力で取り組む」⇒「長時間手を抜いて取り組む」、として、姿勢として全く逆のとらえ方になる。

演習課題1)上記と同じ形で「まったり楽しむ」の矛盾構造を解釈し、異なる複数の意味を導出しなさい。

・親戚による婚活カウンセリング
 「産む機械」発言を、本当に「産む機械」と読むような文章読解の手法が、世の中では存外広く用いられているらしい。
 ふざけるなとか半分思うものの、そういう読み方を出来なかったゆえに、人を傷つけたという事実は揺るがない。
# そういう読み方は経験次第でいくらでも身につくらしい。この手の「どうとでもとれる」読み方から本心を読み取れ……って、それすでに文章読解じゃねーから、とか思うんだが世の中では「わかりやすい文章読解」らしい orz

 また、私に対する評価と私のセルフイメージは、どうしようもなく異なる物の様子。セルフイメージ「鋭く尖る論客」に対し、親戚の評価「おおらかで頼れる聴き手」……一応理屈は通るが、私には「考え込むと表情が怖い」性質があるようで、普通に行動していると「よくわからないうちに逆鱗に触れている」と解釈される可能性がある。どーせいと。

演習問題2)セルフイメージ「鋭く尖る論客」から発生し、外部評価「おおらかで頼れる聴き手」に至るための行動パターンを考察せよ。

・その他日記っぽいこと
 午前中、寮の自治会の役員会やってました。やっと会長を降りる道筋が立った……。
 午後いち、先輩方の寄付(寮の備品)である麻雀牌を整頓しながら次期自治会長と雑談しているとき、彼の決意を聞いた。「後輩もっと使いますよ」。その言葉を聞いて、自治会長としての私の成果と課題をよく見てくれてたんだなぁ、と実感。晶子(姉)に惚れる聖佳さまって、こんな心境だったのかねぇ……。

 その後、移動しながらバカテス1巻読む。数学の問題「4 sin X + 3 cos 3X = 2; Xの値を求めよ」の解き方をじっくり考えたが、結局分からず悔しい思いをした(答えの確認はすぐ出来るんだけどね……)。数学ガールに毒されてるなぁ、とか思いつつ。

 移動した先で、婚活関連のカウンセリングを受ける……と言っても相手は親戚。こちらとしては幼少時代から見て貰っている相手だったりするので、だいぶ話しやすかったりもする。
 自分の「アンチ常識」の行きすぎ感に辟易しながらも、この考えから逃れられない自分の姿を再発見する。幸せな老夫婦を見て危機感しか感じない、というのはさすがに自分の感覚がおかしい。(私の感覚を理解するためには、情報処理試験で「直列システムの信頼性」の問題を解いてください。ぐぐれば出てきます)
 ……のは分かってるんだが、感覚というのは錯覚でない限り、自分の中で絶対のもの。自分の中で消化していかない限り、

 感覚を変えていく、常識を変えていく、意識を変えていく。

 「ふたりはひとりよりもまさっている」(伝道者の書4:1-16)という言葉に、無条件で同意できるようになったそのときに私の自分改革は始まるのだろうか。

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コメント / トラックバック2件

  1. より:

    以下はあくまで個人的見解であるので注意

    演習課題1)上記と同じ形で「まったり楽しむ」の矛盾構造を解釈し、異なる複数の意味を導出しなさい。

    A.まったり=静的なこと : 楽しむ=動的なこと(音楽を楽しむ等、例外的に静的要素もあるけど
      上記により対となる言葉の組み合わせという行動矛盾の可能性がある
      (意味という矛盾は対義語(表裏や明暗、濃淡など)でいくつもあるから意味上の矛盾にはならないかと思う
      どちらかにウエイトをおくかによって行動なのか静止なのかに分かれる
      個人的には「まったり楽しむ=気を張らずに楽しむ」という表現が近いか

    演習問題2)セルフイメージ「鋭く尖る論客」から発生し、外部評価「おおらかで頼れる聴き手」に至るための行動パターンを考察せよ。

    A.結論からすると、見方によるとしか
      論じる為には相手の意見を聞き、自身で具体案を考え、まとめてから発言する
      この考える間をどうとるかによって変わることかと
      課題1似ていることだけど、「考えている時間」と「聞いてもらっている時間」のどちらかにウェイトがあるか
      じゃないかと思う
      よって、どちらも対峙する人間を介して考えると同じ意味になると考えられる

    単語主義と文脈主義
    個人的には文脈主義かな、とは思いつつも未だに分別が出来てないorz
    単語主義の反面教師がマスコミで、いかような意味にも取れる言葉を選んで曲解して伝えるという
    単語主義はキャッチコピーだけにした方がいいと思ふ
    説明を長くすれば言いたいことに近いことが記せるけど、短いと他の意味に取られることもある
    以下に短く単一の意味を記せるかが物書きの永遠の宿題
    …未だに悩んでますよ、例の書きかけのROのSS…

  2. 菅野たくみ より:

    ☆さん

    自分用演習問題をまさか解いてくれるとは思わなかった。

    > A.結論からすると、見方によるとしか
    今回の演習問題2点のポイントはどちらもこれだった。
    同じ行動でも、行為者と観察者では意味が違う。
    同じ言葉でも、送り手と受け手では意味が違う。
    行為者/送り手は自らの意思を明白に示す必要あれど、自らの意思が邪魔して、自らの行動・言動を客観視することが難しい。

    そう言う、自らへの戒めを込めた演習問題でした。

    >単語主義
    最近、文脈主義で会話できる人って実はそれほど多くないのではと感じている。
    聞いて回ったところ、この手のは特に女性に多いようで、本文にもその意味の事がぼやかしてある。
    単語主義相手だと、どうとでもとれるメールから意思を読み取らなくてはいけない、という壁もあったりしてそこが悩みどころ。

    どっちが好きか、じゃないんだよねぇ……一般人に戻りたければ、「両方マスターせよ」という難関が待ち受けているらしいっすよ。

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