恋できない乙女と仕事の楯

恋する乙女と守護の楯
恋する乙女と守護の楯

Axl-Softの発売したゲーム「恋する乙女と守護の楯」、通称「恋楯」について、一点だけ腑に落ちないところがあった。

キャラも良い。
シナリオも良い。
シチュエーションも良い。
ネタも良い。
イラストも良い。
音楽も良い。
システムも良い。
なのに、なんでこの作品が好きになれなかったんだろう。

その答えを、やっと見つけることが出来た。

結論だけを先に書くと、恋楯はおとボクをさらにエロゲー側に寄せたタイプのゲームであることが分かった。
造りもしっかりしているので、「興味の問題で自分内評価は低いが、それでも他人には強くお勧めできる」ゲームとして評価を残せるものだ。
ただ、私にとってストライクゾーンからは外れていた、それだけの話である。

以下、上記結論に至った根拠を示すが、おとボク・恋楯のネタバレを中心に、いろいろと独善的な意見や言い回し等があるので注意。


まずは、下記の二つのリンクを見比べて貰いたい。


僕は『おとボク』に恋しない。
柘榴の杜より)
「おとボク」の萌え構造「処女はお姉さまに恋してる」まとめサイトより)
特に後者は長い文章であるが、後者の論旨から、前者の文章が間違いであることが分かる。おとボクのゲームをきっちりプレイできた人間であれば明らかで、おとボクだけを対象として書かれた文章であれば、一読して切って捨てる程度の文章である。「もったいない」との感想を抱くことが出来れば上等。

ただし、前者の論旨が100%誤りかというと、決してそうではない。彼が犯した唯一の誤りは、文章の論旨である、「百合の覗き見タイプ」のエロゲー批判を、おとボクに適用したことである。

では、この論旨をどの作品に適用すれば、彼は私の批判を免れたのであろうか。
その答えが、恋楯である。
恋楯に適用すると、上記の批判はじつにしっくり来る。
もちろん、文章および筆者の特殊性をきっちり鑑みて評価する必要があり、逆さ読みして「普通のエロゲープレイヤーにとっては、おとボクよりなじみやすい」との結論を得る。

ここで、恋楯の基本設定をおさらいする。

主人公・如月修史は、あるエージェント会社でボディーガードとして働く。彼は新人ながら「シールド9」の称号を得るほど優秀であり、また、その若さと女の子らしい顔つきから、女装が良く似合っていた。
あるとき、この会社に、全寮制の女学園の生徒である「春日崎雪乃」と「椿原蓮」を秘密裏に暗殺者から守るよう依頼があった。誰からも気づかれずに彼女達を守るためには、女学生に扮して任務に就く必要があるが、この会社には若い女性のボディーガードが存在しないため、女装の似合う修史に白羽の矢が立った。
修史は田舎からの転校生「山田妙子」としてこの学園に入学し、二人に近づく。その間、クラスメイトの「真田設子」「穂村有里」、雪乃・蓮とともに生徒会役員である「新城鞠奈」、可愛い後輩である「桜庭優」らと学園生活を過ごしながら、どこに潜むとも知れない暗殺者から、雪乃と蓮を守る。

この基本設定で重要なのは、修史は妙子として動きながらも、常にボディーガードとしての仕事を抱えている点である。
2chの恋楯スレを覗いたところ、人気キャラの上位は妙子・有里・設子・優であり、雪乃・蓮・鞠奈は下位に潜んでいる(blogなどの場合、設子・優が下位に、雪乃が上位に来るとのこと)。
ここでじっくり考えてみると、ある一つの構図が思い浮かぶ。

修史サイド(仕事関連):有里・設子・優
妙子サイド(学園関連):雪乃・蓮・鞠奈

このとき、プレイヤーが修史と同一化すると、「妙子に同化できない」という不思議な現象が発生する。理由は簡単で、いつ・何時暗殺者が動くか分からないため。
従って、プレイヤーは、「妙子のお姉さま」(雪乃)や「元気で妙子を元気にしてくれる同級生」(蓮)、「小悪魔的ないたずらで妙子をからかう後輩」(鞠奈)を楽しむことができず、逆に「自由な動きを阻害する守護対象」(雪乃)「軽いノリで仕事を妨害する守護対象」(蓮)、「暗殺者かもわからない、仕事の妨害者」(鞠奈)と、ヒロインに対してネガティブな印象を抱くことになる。
ちなみに、有里の場合は一貫して「頼れるパートナー」であり、設子と優の場合は、「かわいい同級生/後輩」→「実は組織から派遣された暗殺者」と、修史/妙子の立場によって印象が変わることはない。

翻っておとボクを考えてみると、主人公・鏑木瑞穂は、女学院に放り込まれた後、「男とばれない」ことのみを要求される。このため、鏑木瑞穂としての人格・行動が、仮想人格である宮小路瑞穂とどれだけ一致化されるかが求められる。

すなわち、おとボクは主人公は男でありながら「女の子(宮小路瑞穂)として、女の子の関係性にとけ込む」ことを要求されるのに対し、恋楯は「男(如月修史)として、与えられた仕事をこなす」ことを要求される。ここに、「女の子(山田妙子)として、女の子の関係性にとけ込む」などの目標を入れた途端、ボディガードの仕事は崩壊する。

そう、如月修史の物語に、雪乃・蓮・鞠奈の名前は不要なのである。

では、なぜ雪乃は人気が出るか。理由は簡単である。これはお嬢さま学園を舞台としているため、修史ではなく神(第三者)の視点で、雪乃と妙子の姉妹関係を楽しむことが可能なためである。このとき、蓮や鞠奈の性格・振る舞いは、お嬢さまを楽しむには向かないことに注意する。

そう、蓮や鞠奈は、修史視点のボディガード物語からも、神視点のお嬢さま学園物語からも、外されてしまったのである。

以降、恋楯をお嬢さま学園物語として議論するため、有里・設子・優には退場願い、雪乃のみをクローズアップする。

さて、ここまで分かったところで、何かの類似関係に気がつかないだろうか。

そう、おとボクと恋楯の関係は、マリみてとストパニの関係を模している。
マリみて&おとボクが主人公視点で、キャラ間の関係性を重視するのに対し、ストパニ&恋楯は明白な主人公が存在しない。

と、念のため、ストパニをざっくりとおさらいする。もちろん私の視点。
ミアトル、スピカ、ル・リムの3校から、一組のエトワールを選出する。ミアトルからは「花園静馬」「蒼井渚沙」の組が、スピカからは「鳳天音」「此花光莉」の組が出場し、エトワールを競う。(ル・リムは……メディアによって全然違うので省略)
ミアトルでは、渚沙を中心に、静馬、「涼水玉青」「月館千代」らが渚沙を取り合う(だったり、仲良くする、だったり)物語が展開される。
スピカでは、光莉を中心に、天音や「南都夜々」らの、激しい愛憎物語が展開される。
ル・リムでは、「源千華留」を中心に、「日向絆奈」「夏目檸檬」「白檀籠女」らがほのぼのと生活している様子が描かれる。

以上おさらい終わり。筆者は玉青と千華留が好きだが、正直誰に感情移入して良いものやらさっぱりである。

要するに、ストパニを楽しむためにも神の視点が必要と推測できる。それもそのはずで、ストパニは電撃G’sマガジンの読者参加企画を出自としているところでストーリーテラーたる「お兄ちゃん」が消えたため、特定キャラの視点を持つことがそもそも許されていない。

以上の考察から、お嬢さま学園の物語として見たとき、次の表を書くことが出来る。

主人公視点 第三者視点
百合 マリみて ストパニ
女装 おとボク 恋楯

この「第三者視点」とは、「神の視点」や「百合の覗き見タイプ」と同義である。

つまり、恋楯は、マリみて・おとボクのような自分が主人公となるタイプのゲームではなく、ストパニのような百合世界を覗き見するタイプのゲームとしてとらえることができる。そのためには、山田妙子の「中の人」である如月修史の視点は、非常に先進的で面白い装置と言えよう。
今更言っても詮無いが、鞠奈の性格付けを優(あるいは、おとボクの奏ちゃん、ストパニの千代ちゃん)に近いものとすれば、中の人に負けない人気は出たと思うが、過ぎたことは取り返せない。

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コメント / トラックバック6件

  1. Ossie@柘榴ノ杜 より:

    はじめまして。メールありがとうございました。

    ……。
    えーと、
    ご批判は真摯に賜りたいと存じておりますが、
    残念ながら僕は、
    貴方の僕に対する批判の主旨がまったく呑み込めてません(^^;
    正直なところ、
    「で? 貴方はけっきょくナニがいいたいの?」
    という感じなのです。

    まず、
    『僕は『おとボク』に恋しない』という記事は、
    冒頭にも記したとおり
    「『おとボク』という作品の“内容”に対する批判」ではありません。
    男性の『マリみて』ファンであるところの僕が、
    しばしば『マリみて』を引き合いに出して語られる
    『おとボク』を嫌悪する理由について述べたものです。

    なぜそのような記事を発表する必要があったかというと、
    「男なら女性視点の『マリみて』でなく、
    男性視点の『おとボク』を選ぶべき」という、
    “一見するともっともらしい批判”に答えるためです。
    さらに言えば、
    『僕は『おとボク』に恋しない』は、
    『なぜ男が「百合」にハマるのか?』というサイトの一コンテンツです。
    タイトルの通り、
    世間では「男が『百合』を読むこと」を不快に感じる人がいるため、
    一人の百合野郎の立場から見解を述べたものです。

    あの記事だけを取り上げるのでなく、
    その基盤となるサイト全体をご覧になった上で
    発言していただきたいと思います。

    したがって、
    貴方の批判の主旨である、
    「『おとボク』の主人公が
    “主人公視点”か“第三者視点”か」という問題は、
    あの記事の主旨とは何の関係もありません。

    おそらく、
    僕が「覗き見タイプ」という言葉を用いたことで
    そのような誤解を招いてしまったのだと思いますが、
    あの言葉は、
    文中にも引用した
    『ライトノベルめった斬り!』の記述から取ったものです。
    『マリみて』を“女”としての性自認からではなく、
    “男”としての性自認から読む人を指して、
    「同一化タイプ」の対義語として用いました。

    べつに「覗き見タイプ」という言葉にこだわりがあるわけではなく、
    じつは他にも
    「干渉タイプ」「侵略タイプ」「乱入タイプ」
    などと色々考えたのですが(^^;、
    どれもしっくりこないので、
    それなら有名なライター(大森望・三村美衣)が用いた言葉から取ったほうがわかりやすいと考えました。

    とはいえ、
    「覗き見タイプ」という言葉が不適切であることは事実ですので、
    「同一化タイプ」の対義語ということで、
    「非同一化タイプ」に変更いたしました。
    もっと適切な言葉がありましたらご提案いただけると助かります。

    さて、
    ご紹介いただいた『「おとボク」の萌え構造』も拝見いたしましたが、
    先述のとおり、
    僕は『おとボク』というゲームをプレイするつもりは
    さらさらありませんし、
    またその「内容」を批評するつもりもありませんので、
    (そのスタンスに対する批判も受け付けません)
    申し訳ありませんが興味を惹く内容ではありませんでした。
    少なくとも『僕は『おとボク』に恋しない。』の論旨に影響するものではありません。
    したがってコメントは控えさせていただきます。

    ただ、『おとボク』の内容を知らない者にとっては、
    敷居が高い印象を受けたということだけは申し上げておきます。
    あくまでも『おとボク』のファンが『おとボク』の魅力を再確認するという目的でしたらそれでいいと思いますが。

    いずれにせよ僕が言いたいのは、
    本文の締めにもありますとおり、
    「『おとボク』を“百合”として楽しむのは不可能だし、
    ましてや『マリみて』に取って代わる存在にもなりえない」
    ということです。

    さらに具体的に言うと、
    本田透が『萌える男』の中で述べた
    「主人公と萌えキャラの間にはガールフレンド関係・百合関係・恋愛関係のすべての関係性が保持されることになる」
    という『おとボク』評は間違っているということです。

    ……以上、お答えになりましたでしょうか。
    まとまらない文章で申し訳ありません。

  2. Ossie@柘榴ノ杜 より:

    >おとボクのゲームをきっちりプレイできた人間であれば明らかで、おとボクだけを対象として書かれた文章であれば、一読して切って捨てる程度の文章である。

    上述の通り、僕は「おとボクのゲームをきっちりプレイできた人間」ではありませんし、そのことも本文中にきっちり明記してますので、『おとボク』シンパの方から「一読して切って捨て」られようと痛くも痒くもないです。まぁ、自分にとって思い入れのある作品を「キライ」と言われれば誰だって良い気分はしませんよね。

    >「もったいない」との感想を抱くことが出来れば上等。

    これはどういう意味ですか?

  3. 菅野たくみ より:

    >Ossieさま

    稚拙なメールおよび本文にご返答いただき、ありがとうございます。
    下手な文章でいろいろと小難しい議論を並べておりますが、こちらとしての主旨は簡単で、おとボクを単なる「百合っぽい女装系エロゲー」のコンテキストで語っていただきたくない、という一点に尽きます。
    そのため、おとボク以外の「百合っぽい女装系エロゲー」として圧倒的に完成度の高い「恋楯」雪乃シナリオにご登場願ったわけです。

    >>「もったいない」との感想を抱くことが出来れば上等。
    > これはどういう意味ですか?

    「主人公と萌えキャラの間にはガールフレンド関係・百合関係・恋愛関係のすべての関係性が保持されることになる」(本田)との評について、おとボクの場合は細部の描写に特色があり、実際にゲームをプレイしないと分からないという特徴があります。これは、あらすじ・概略などからは決して見えてこない。媒体こそ違えど、マリみて原作小説の精緻な描写がファンを惹きつけるのと同じでしょう。
    タイトルやあらすじを読んだだけでは、本田の感想は決して出てこないのです。この感想が出てきたのは、おとボクというゲームを真剣にプレイし、クリアしたという証左に他なりません。この事実は、制作者すら理解していないものです。

    私が「もったいない」と申し上げたのはまさにこの点で、おとボクを好きになれる素質を持った方が、誤った偏見によってプレイを拒否されているというのは、ひとりのおとボクファンとして大変惜しいと感じたまでです。また、Ossie様と同様の意見をもつ未プレイの方は多く、この点も一ファンとして残念に思います。

    私の友人の言で、「実際やってあまりのおもしろさに外との大きすぎるギャップを感じた」との感想があります。
    おとボクをプレイするよう強要するつもりは全くありません。ただ、この場でお願いするのも筋違いではありますが、せめて誤解を助長されないための配慮をいただきたく存じます。

  4. Ossie@柘榴ノ杜 より:

    >>菅野さん

    論点をご理解なされていないようですが……(^^;

    >「主人公と萌えキャラの間にはガールフレンド関係・百合関係・恋愛関係のすべての関係性が保持されることになる」(本田)との評について、おとボクの場合は細部の描写に特色があり、実際にゲームをプレイしないと分からないという特徴があります。

    そもそも「恋愛」という感情は、
    性自認と性的指向に基づいて成り立つものです。

    だからいくら細部の描写に凝ってみたところで、
    プレイヤーの性自認が“男”である以上、
    それは「百合物」としては機能しないのです。
    これは『おとボク』にかぎった話ではなく、
    「百合っぽい女装系エロゲー」の宿命にほかなりません。

    誤解なさらないでいただきたいのですが、
    僕は「百合っぽい女装系エロゲー」というジャンル
    そのものを否定しているのではない。
    しかし、それはあくまでも
    「百合とは似て非なるもの」として扱うべきであって、
    「百合」としてカテゴライズするのは不適切だと言いたいのです。

    ましてや『おとボク』の場合、
    「『マリみて』のパロディ」という名目で売られているのが問題です。

    ご存知の通り、
    WHOや国際精神医学会が
    同性愛を「健全な性的指向」と見做し、
    「いかなる治療の対象にもなりえない」と規定しているにもかかわらず、
    世間では未だに
    「ヘンタイ趣味」「精神異常」
    という誤解が蔓延っているのが現状です。
    そのため、
    世間では『マリみて』を「百合」ではない、
    さらに言えば
    「『マリみて』を「百合」みたいなヘンタイ趣味と一緒にしないでくれ」
    と主張する人もいます。

    『おとボク』の制作者がどれだけ自覚しているかは知りませんが、
    『マリみて』の世界観を踏襲しておきながら、
    そこに異性愛を持ち込むことは、
    世の「異性愛中心主義」に迎合することになる……
    と僕は考えています。
    「考えすぎ」とおっしゃるかもしれませんが、
    僕は自分の主張の根拠をサイト内できっちりと提示しています。

    >私が「もったいない」と申し上げたのはまさにこの点で、おとボクを好きになれる素質を持った方が、誤った偏見によってプレイを拒否されているというのは、ひとりのおとボクファンとして大変惜しいと感じたまでです。また、Ossie様と同様の意見をもつ未プレイの方は多く、この点も一ファンとして残念に思います。

    上述のとおり、
    「百合」の世界を守っていきたいと願っている者に対して、
    「『おとボク』は“百合”として楽しめる」
    「『マリみて』ファンなら『おとボク』を受け入れるべき」
    と主張する貴方や本田のやり方はむしろ逆効果であり、
    自分の趣味を他人に押し付けていると言われてもしかたがないでしょう。
    「『おとボク』は『マリみて』とは無関係なのだ」
    という主張ならまだ受け入れる余地があるのですが……(^^;

    >おとボクをプレイするよう強要するつもりは全くありません。ただ、この場でお願いするのも筋違いではありますが、せめて誤解を助長されないための配慮をいただきたく存じます。

    僕の主張が「誤った偏見」とおっしゃるのであれば、

    ・『おとボク』が『マリみて』の存在意義を否定するものでないこと
    ・『おとボク』が異性愛中心主義を助長するものでないこと

    ……を提示していただきたいと思います。

  5. 菅野たくみ より:

    このチャレンジ、承りました。
    簡単に示せるものではないと思いますが、材料は揃っているので、別エントリーにて組み上げたいと思います。
    (かなり難しい論調になるので、しばらくお時間を頂きたく思います)

    ただ、weblogを拝見させていただいたところ、Ossie様もすでにおとボクの魅力はおわかりのご様子。
    http://d.hatena.ne.jp/herfinalchapter/20070929

    おとボクのコミックは、原作の雰囲気に極めて忠実な、非常に素晴らしいコミカライズです。百合のフィールドで活躍されているあらき先生にしかできない忠実な表現に、毎月感服しております。
    このコミカライズは、作品の表面しかとらえていないおとボクのアニメに対する、私の不満を全て解消してくれる作品です。

  6. […] だいぶ昔の記事でのコメントにて、上記二つを証明するチャレンジを受けた。 証明の題材を書き散らすだけであれば非常に容易いが、実際に分かる文章で書くとなると非常に難しく、現 […]

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